AYUTANINATUYA

脱サラ・アラサー大学院生。日記と、趣味のゲーム・書籍・漫画などのサブカルを発信してます。

小説『ザリガニの鳴くところ』書評感想

 

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 今回は小説『ザリガニの鳴くところ』を紹介します。ディーリア・オーエンズによる著作であり、翻訳は友廣純が担当しています。2020年3月5日に早川書房より発売されました。

 

 

あらすじ

500万部突破! 2019年アメリカで一番売れた小説
ノースカロライナ州の湿地で村の青年チェイスの死体が発見された。人々は真っ先に、「湿地の少女」と呼ばれているカイアを疑う。6歳のときからたったひとりで生き延びてきたカイアは、果たして犯人なのか? 不気味な殺人事件の顛末と少女の成長が絡み合う長篇

www.hayakawa-online.co.jp

ポイント

  • 複雑なストーリー
  • 湿地の少女カイア
  • 貝殻のペンダント

 

複雑なストーリー

 本作は複雑な要素が絡み合います。物語の冒頭は、主な語り部である湿地の少女・カイアが、彼女の母親から捨てられるシーンから始まります。父親も家庭を放棄し、上の兄姉も次々と家を出てゆきます。カイアは1人で湿地に赴き、自然と触れ合い、しかし地域のコミュニティからは拒絶され、1人で逞しく生き抜く様が描かれます。一方、時間軸の大きく異なる場面である男が殺害され、その捜査活動の場面が挟まれてゆきます。序盤はやや怪しげな雰囲気がありながらも、静謐な湿地と純粋な少女の心を土台とした詩的物語が綴られます。
 やがてカイアは年齢を重ね、彼女に文字の読み書きを教える青年・テイトと、アメフトエリートのチェイスという女たらしに出会い、互いに惹かれてはすれ違ってゆくロマンスです。そして序盤から続いていた殺人事件とがリンクし、カイアはチェイス殺害の容疑者として逮捕されてしまいます。そして終盤にはカイアの殺人事件を巡る裁判のシーンで占められており、前半とは打って変わって明朗な演説劇が繰り広げられます。
 複雑な構成が本書の純文学/エンタメ小説との区分けをしにくくさせており、また両者の表現の豊かさと物語の面白さが備わる要因になっており、とても読み応えがあります。


湿地の少女カイア

 カイアは1946年生まれの設定であり最初は6歳でしたが、作中で年月が進んでゆきテイトと出会う1960年(14歳)、チェイスと出会う1965年(19歳)、と殺人事件が起こる1969年(23歳)が主に描かれます。彼女は黒髪の白人ですが最貧層に位置しており、その肌の色から黒人にも受け入れてもらえないという立場のようです。学校にも1日しか行かず、湿地で獲れる貝や魚の燻製を売って生計を立てていました。カイアはテイトから文字の読み書きを教わることで文学的才能を、そして湿地で長い時間を過ごすことにより生物学的才能を開花させてゆきます。一方で人間関係には恵まれず、その孤独が絶えず彼女を苦しめます。風変りではありますが共感するポイントもたくさんある人物に描かれています。


貝殻のペンダント

 殺人事件の被害者であるチェイスの首からは貝殻のペンダントが無くなっていました。これはチェイスが見つけた珍しい貝殻をカイアが革紐を通して作ったものであり、互いにとって大切なものです。ただカイアは「隠し事をするなら、貝殻がいちばんだと言えるかもしれない」と考えており、そのイタヤガイという貝は「ここの海水 (湿地の水)はこの貝には冷たすぎるのよ」とも述べており、不穏な記述もあります。最後にその貝殻は放り投げられてしまうことから、このペンダントは彼女の心そのものを象徴しているともいえます。

 

ネタバレ(オチ・結末)

 チェイスの殺人事件でカイアは無罪となり、その後を湿地で過ごして65歳にて静かに息を引き取る。その後の身辺整理をテイトがしていると隠し箱を見つけ、その中に入っていた詩からアマンダ・ハミルトンがカイア自身であったことを知り、そして彼女がチェイスを殺害したことを想像する。

 

終わりに

 かなりの紙幅量で、海外文学特有の文化の違いや人物の名前の覚えづらさを備えており、物語軸や時系列も複雑で、一見すると少女趣味のようにも捉えられる『ザリガニの鳴くところ』。読んでみると序盤の文章や雰囲気の美しさ、そして中盤にいよいよ物語が始まってくるところやロマンスはよかったですが、終盤の裁判のシーンはそれまでとは傾向がガラリと変わって驚きました。判決の行方にあまり興味がないカイアに共感してなかなか読み進めづらい部分ではありますが、「興味がない」ということをメタ的に表現しているところに優れた物語構成を感じます。
 他作品と例えるならサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の女性版のような、繊細ながらも繊細さを捨てきれないヒューマンドラマといえます。あとはミシェル・ウェルベックの『素粒子』のように文系的詩的表現と理系的生物理解が、ある場面では共鳴して一方では相反するという、文理的対決としても読むことができます。
 殺人事件のミステリ要素が物語を引っ張るうえで欠かせないのは分かりますが、その描写がカットインされることでテンポが悪くなってしまっていることと、作中で誰かが嘘をついているという疑心が払いのけられず、ちょっと集中力を欠いてしまいましたが、読みどころがあることに関しては間違いないのが『ザリガニの鳴くところ』です。

 

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ