小説『デッドライン』感想(とメモ)
今回は小説『デッドライン』を紹介します。千葉雅也による著作であり、2019年11月27日に新潮社から出版されました。
あらすじ
珊瑚礁のまわりで群れをなす魚のように、導きあう男たちが夜の底をクルーズする――。ゲイであること、思考すること、生きること。修士論文のデッドラインが迫るなか、動物になることと女性になることの線上で悩み、哲学と格闘しつつ日々を送る「僕」。気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説。
作者は哲学者の千葉雅也です。フランス現代哲学を専門とし、ギャル男ファッションの表象文化論などの分野にも活動領域を広げています。他の著作に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』『勉強の哲学――来たるべきバカのために』などの哲学批評や自己啓発に関する本があり、『デッドライン』は著者の初めてとなる小説です。
小説の舞台は2001年の東京です。そこではある哲学専攻の大学院生が卒業のための論文を書くにあたって、自らのこと、ゲイという性、友人や両親との関係について悩み、そして考えてゆく自己形成の話です。
感想
物語はいきなりハッテン場(男性同性愛者の出会いの場)で始まります。他にも脈絡のないシーンが続きますが、どうやら「○○くん」と呼ばれる語り部の僕は、大学4年生であり哲学を専攻していることが読み取れます。そして彼は所属しているゼミでモースの『贈与論』というテーマが与えられ、それに関する原稿を指導教官に見せたところ、「逃走線、ですね」と評され、哲学を卒なくこなす姿が描かれます。
やがて僕は大学院生になるものの、生活はそれほど変わりません。大学のゼミと哲学講義を中心に据えて、ハッテン場に足繁く通ったり、地元に帰ったり、映画撮影に出入りしたりします。しかし大学院を卒業するための修士論文が書けず、そのテーマをモースからドゥルーズという別の哲学者に変更します。
僕はドゥルーズの哲学を読み進めているうちに、「従来の秩序から逃げる、しがらみと関係なく自由に生きる」、「動物になる」、「女性になる」など様々な意識的変化の必要性を覚えてきます。一方で、修士論文のデッドライン(締め切り)が刻々と迫ってきて、彼は窮地に立たされます。
『デッドライン』、まとめです。雑多なエピソードが混ざっているものの、シンプルに評すれば主人公の成長物語であり、一見すると難しそうな哲学が、彼の体験からわかりやすく語られます。ただ、彼のゲイの悩みは完全には理解しがたく、時系列や場面が飛び飛びで部分的にしか描かれないため、読み手を選ぶ内容だといえます。
感想(ネタバレあり)
オチ
僕:修論が書き上がらずに留年する
父親:銀行から金を借りに行く
会社が倒産し、自己破産する
僕:車や本を手放し、引っ越す
新たな生活を始める
が、男漁りは止められない
論点
- 『デッドライン』は「円から線」のテーマありき
- 主人公・語り部・僕・○○くん:バカか?
- 小説としてのまとまりはあるか?
テーマありきでは?
○○くんの生活図
東京:多重の円環
一夜限りの関係
荘子「魚の楽しみ」:「近さ」の関係
しがらみと関係なく自由に生きる
スピノザの時間
親の仕送りによる裕福な生活
これらをデッドラインが引き裂く
「円が線になる」という結末・設計図が先にあり、
それを補うようエピソードが配置されているに過ぎない
(そのテーマに気付き、描写する姿勢が素晴らしい)
このテーマに早く気付くかが、
本書の理解度や印象を決定づける
自分はテーマやネタバレを先に知ってから
読んでいたので、ちょっと露骨に感じた
○○くんはバカか?
「女になる」「デッドラインになる」ってなんだよ
仮にエビの研究をしていたら、
お前はエビになるのか?
研究と自己を同一視しすぎ
徳永先生の言うように、
テクストの現実に従え
修論は出そう
修論の完成度が低い、
あるいは未完成の修論を出そう
ゴールから逆算して考えよう
車やプログラムのように、とりあえず出そう
のちにリコールや重大な脆弱性があるかもしれないけど、
中長期的には完成度が高くなる
哲学に関する思考力はあるのに、
実際的な部分だけ知的レベルを下げるのは、
ご都合主義が過ぎる
小説としてのまとまりはあるか?
○○くんの日記や私小説
できごとや他者に興味がない
描写されず、放置
反対に、”興味のないこと”をまとめている
小説のメタ構造、まとめ方として面白い
終わりに
- テーマ先行の構造主義、リアリティが欠如している
いくらなんでも親の金を使いすぎでは?
気をやや緩めて読めば面白いし、
最後にガツンと殴られる展開の落差がよき
大人になりきれない大学院生らしさ
モラトリアム
- ○○くん:共感しづらい
ゲイだから生理的に無理
終盤はTSF(トランスジェンダー・フィクション)
ハイセンスなのか凡庸なのかぐちゃくちゃ
ただ、異質な彼に近づく・なることができるか?
というメタ構造にもなっている
- ○○くん以外の登場人物を放置している
知子、K、徳永先生
知子(ちかこ、かずこ、ちこ、さとこ、ともこ)
Kはなぜ”K”なのか? 夏目漱石『こころ』のKか?
他者視点で読み解くことは困難
- 『勉強の哲学』の小説版
色々とツッコミどころはありますが、小説としても哲学書としても面白く、一読の価値はある本です。
思想家であり小説家の東浩紀さんのように、フィクションの世界での哲学の表現をより広げていってほしいです。