AYUTANINATUYA

脱サラ・アラサー大学院生。日記と、趣味のゲーム・書籍・漫画などのサブカルを発信してます。

小説『競売ナンバー49の叫び』書評感想

 

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トマス・ピンチョン著、佐藤良明訳の小説『競合ナンバー49の叫び』を読み終えたのであらすじなどを綴る。

 

競合ナンバー49の叫び

大富豪の死――そのかつての恋人で、いまや若妻のエディパは遺産のゆくえを託される。だが、彼女の前に現れるのは暗号めいた文字列に謎のラッパ・マーク、奇怪な筋書きの古典劇。すべては闇の郵便組織の実在と壮大な陰謀を暗示していた……? 天才作家が驚愕のスピードで連れ去る狂熱の探偵小説、詳細なガイドを付して新訳!

トマス・ピンチョン(Pynchon Thomas)

1963年『V.』でデビュー、26歳でフォークナー賞に輝く。第2作『競売ナンバー49の叫び』(1966)は、カルト的な人気を博すとともに、ポストモダン小説の代表作としての評価を確立、長大な第3作『重力の虹』(1973)は、メルヴィルの『白鯨』やジョイスの『ユリシーズ』に比肩する、英語圏文学の高峰として語られる。1990年、17年に及ぶ沈黙を破って『ヴァインランド』を発表してからも、奇抜な設定と濃密な構成によって文明に挑戦し人間を問い直すような大作・快作を次々と生み出してきた。『メイスン&ディクスン』(1997)、『逆光』(2006)、『LAヴァイス』(2009)、そして『ブリーディング・エッジ』(2013)と、刊行のたび世界的注目を浴びている。

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 余談ではあるが、「トマス・ピンチョン」という作家は過去に存在する一種のアイコンのようだと考えていた。
 たぶん一番最初にこの名前を目にしたのは小説『1984年』の解説だったように思う。これはジョージ・オーウェルによる架空のヨーロッパ圏国家を題材とした社会小説なのだが、近年ではドナルド・トランプによるアメリカ大統領就任とその政治内容から引き合いに出されることが多く、また『1984年』そのものが社会小説やSF小説としてロングセラーな作品なので、ある程度の数の読者も居るのではないかと推測する。
 日本語版では2021年に新訳が出版されているが、一般的に多く流通しているのは高橋和久訳・ハヤカワepi文庫の『一九八四年』のようであり、その解説をトマス・ピンチョンが担当している。『一九八四年』はかなり複雑な内容であり、また著者のオーウェルも様々な経歴の持ち主であるが、それを端的にまとめつつ、ある種の示唆を提示しているピンチョンの数ページはかなり価値あるものである。それと同時に、このテキストが彼の6年振りに公開された文章であり、ピンチョンの生存確認と作品分析に欠かせないもの(だった)らしい。
 そういった経緯もあり、ピンチョンは作家としても作品としても謎が多いことから、「ピンチョン=覆面・経歴詐称・秘密主義・陰謀論」といった意味合いとなっている(ようである)。そして他作家の他の作品での文芸批判の例として挙げられているのを目にする機会は何度かあったが、ピンチョン自身の著作を読んだことはなかった。


『競売ナンバー49の叫び』について(ネタバレを含む)。
事の発端はピアス・インヴェラリティという大富豪の遺言により、彼のかつての恋人であり現在は一般主婦のエディパ・マーズを資産の遺言執行人に指名したことから始まる。まずエディパは”執行人”であり”相続人”ではないので、その日を境にして大金持ちになるわけではない。またよほど遺言執行の法的拘束力が強いのか、あるいはある程度の報酬が支払われるのか判断が付かないが、エディパがピアスの遺産整理に奔走する様子が全編を通して描かれてゆく。先に明かしておくと、ピアスの真意は最後まで分からず終いである。まず彼の死因が分からない。もしかしたらどこかで生きているとさえ考えることもできる。エディパとどうやって出会い、どういった関係性を持ち、そしてどう別れたのかも分からない。もちろんなぜエディパを執行人に指名したのかも分からない。エディパによるピアスの人物回想をするシーンはわずかであり、ピアス本人の台詞や書簡もない。あくまで彼が遺した切手のコレクションから推し量ってゆくしかない。
 エディパは行動力のある女性で、彼女の周りの個性的な登場人物たちとともに遺言執行に取り組んでゆくが、その途中で郵便ラッパのマークを見かけ、それが至る所で散見され、その背後に<トリステロ>という組織が存在するのではないかと疑い始める。こういった刷り込みがエディパや他の人物たちにストレスを与え、夫のムーチョは薬物中毒になり、演出家のドリブレットは自殺、共同執行人のメツガーは失踪してしまう。そしてエディパ自身も気が狂いそうになるが、なんとか踏みとどまって状況を整理し始める。こうなった原因は、(1)ピアスの悪戯、(2)エディパの精神病、(3)周辺人物たちの精神病、(4)<トリステロ>の陰謀論、そして(5)合衆国そのもの、と可能性を探るが、結論は出ない。そんな際に遺品の”偽造切手”が「ロット49」として競売にかけられることになり、そこにエディパは一縷の望みをかけてオークション会場に出向き、ロット49の競り値が叫ばれるのを待つことにした、という場面で物語は終わる。登場人物たちは誰もが知的ではあるものの、彼らの持つ能力が十全に活かされてるとは言い切れない状況であり、何の理由や解釈や余裕もなく目の前の仕事に従事させられている様は、早かれ遅かれ精神的に追い込まれる場面になってもおかしくないように考えられる。本作では”偽造切手”という陰謀論めいたものがトリガーとなったが、物語の運び方として一定の妥当性がありつつ、それでもって各人物たちが軽妙な会話でもってストーリーに膨らみを持たせる様には面白みを感じる。エディパを含む誰もがとても幸福を享受しているとはいえないエンディングだが、エディパにはまだ希望があり、また切手収集家のコーエンは一連の謎をある程度区切って受け入れつつしっかり仕事に取り組めているので、この2人のどちらかの視点を受け入れることができれば、本書全体を消化することもできるのではないかと考えられる。
 その他の読み方について、『競売ナンバー49の叫び』は不条理小説との事前情報があったので、『ゴドーを待ちながら』、『城』、『砂の女』、『桐島、部活やめるってよ』といった類似作品との比較しながら読んでいたが、『競売ナンバー』はかなりポップでユーモアな印象だった。ピアスが不条理の主でありエディパが従の関係であるが、エディパ自身がこの関係性をメタ的な認知度が高く、それゆえ理性を保てたのではないかと考えられる。また前述の『1984年』も意識して読んでみたが、『競売ナンバー』はそれほど絶対的な監視体制ではなかったので、これらの作品を同列に語るのは無理があるように思われる。
 ピンチョンの他作品を読んだことがないので確かなことはいえないが、ある程度普遍的な舞台設定であり、遺産執行というしっかりとした物語の切り口があり、途中混乱する場面はあるものの、最後まで語り部のエディパがどこで何をしているかは追えるようになっており、文章量的にも読みやすいことから、おおよそピンチョンの入門者向けといえる『競売ナンバー49の叫び』だった。

 

読書メモ

登場人物

エディパ 語り部 若妻 28歳
ムーチョ エディパの夫 DJ 元中古車販売員 2年前にエディパと結婚する
ピアス 不動産界の超大物 大富豪 遺言執行を命じる
メツガー 法律事務所所属 共同遺言執行人 特別顧問役
ローズマン マース家(エディパ)の弁護士
ドクター・ヒラリウス エディパの精神分析医
ファローピアン 細身の青年 ピーター・ピングィッド協会員 郵便革命と南北戦争の関係を調べている
マニー・ディプレッソ 俳優 弁護士
ドリブレット 演者 『急使の悲劇』の演出家
ソス 老人ホーム住人 ソスのじいさんが郵便配達員で、インディアンの嵌めていた指輪のマークを語る
コースティック ヨーヨーダイン社技術職員 ラッパのマークを書いていた
コーエン 切手収集家 ピアスの切手整理を手伝う
ボーツ サン・ナルシソ大学教授 元カリフォルニア大学バークレー校英文科教授 『ウォーフィンガー戯曲集』編者


舞台
1965年 アメリカ 西海岸 LA近郊

1章
エディパ、ピアスの遺言執行人に指名されたことに動揺する。
2章
エディパ、ピアスの居住地区へ出向き、メツガーと会う。
映画を横目にして、エディパとメツガーは問答ゲームを行いつつ不倫の一夜を過ごす。映画はバッドエンドだった。
3章
エディパはピアスの遺した切手のコレクションを取り扱い始める。
遺品整理中のある日にバーへ入ったところ、郵便ラッパのマークを見つける。
別の日、エディパはドライブに出かけた先でディプレッソに会い、湖に骨を沈めた話を聞く。それが『急使の悲劇』とそっくりとも聞き、エディパは実際に演劇を見に行って<トリステロ>という言葉を耳にする。そして演出家のドリブレットを問い詰めるも、劇の内容はフィクションだと告げられる。
4章
ヨーヨーダインの株主総会に出席したエディパは、コースティックによるラッパのマークの落書きを目撃する。
別の日、老人ホームにてソスと会話している際、偶然にも彼のじいさんの認印指輪のマークがラッパのマークであることを知る。一連の出来事をコーエンに相談すると、ラッパのマークはヨーロッパの古い私設郵便組織のシンボルであり、トリステロはその偽造品であると答える。
5章
それからの日々、エディパには生活の至る所にラッパのマークを目にするようになる。ついに決心してヒラリウスに診てもらいに行くが、そこで先生自身が銃を乱射して発狂していた。エディパは交渉役としてヒラリウスと面会し、ドラッグと精神病について語る。なんとか場を収めたところにムーチョがインタビューするが、彼はドラッグによりアイデンティティを失って歩く集合人間になっていた。ムーチョに別れを告げ、エディパは逃亡者になる決心をする。
6章
トリステロの陰謀論に怯えるエディパだったが、頼りにしていたメツガーは新しい8歳のガールフレンドと結婚するためネヴァダへ行ってしまったことを知る。次にボーツ教授の元を訪れて『急使の悲劇』について訊く。しかし台本の元には<トリステロ>という言葉はなく、ドリブレットのアドリブ発言であるが、彼は入水自殺したと告げられる。エディパは引き続き<トリステロ>の情報を調べるが、すべてがピアスの遺産に通じていることに気づく。ピアスが仕組んだ大がかりな悪戯なのか、エディパ自身がパラノイア(精神病)なのか、彼らが病気なのか、それとも真のオルターナティブ・コミュニケーションを発見したのか、それらの可能性の判断が付かずにいた。それでも切手を調べていると、すべては真実で<トリステロ>は実際に存在し、ピアスの遺産とは共和国そのものではないかと考えはじめる。そしてトリステロ関係の”偽造切手”が「ロット49」として競売にかけられることになった。エディパはオークションに出向き、ロット49の競り値が叫ばれるのを待つことにした。

本文:222ページ、所要読書時間:6時間程度