AYUTANINATUYA

脱サラ・アラサー大学院生。日記と、趣味のゲーム・書籍・漫画などのサブカルを発信してます。

漫画『症年症女』感想

 

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 原作:西尾維新、漫画:暁月あきらによる小説『症年症女』を読みまして、感想を綴ります。

 

漫画『症年症女』あらすじ

 世の中の人々が「無個性」であることに嫌気がさしていて、自身も「無個性」であることに絶望していた少年は、ある日人の顔や名前、固有名詞や個人情報等「個性のようなもの」がペンで塗りつぶされたように見える新病に罹り、12歳までに死ぬ事を告げられる。「悲劇の主人公」という「個性」を手に入れ、かつ自分がこの病気で最初に死んだ場合、病名が自分の名前になることを聞き、将来自分を見下した無個性達の子供が自分の名前の病気になり、自分のおかげで救われる痛快さに歓喜。 だが、そんな彼の前に同じ新病に罹る少女が現れる。少年より個性的でスター性のある彼女が、あろうことか少年より寿命が短く、彼女の名前が病名になる可能性が高い事を知る。
 少年はそうなる前に、自らの手で彼女を殺すことを決意する。
 少年は少女の遺した映像を観ていた。少女は自分を生き返らせる方法があると言い出すが、そこで視聴を中止。少女なら本当に生き返らせる方法を見つけたかもと語る「毒」。少年は、もしそうなら「そうと知りながら生き返らせなかった」自分が、少女を殺したようなものだと不敵に笑う。そして少年は笑顔でこの世を去った。
 時は流れ、新病は自意識過剰な馬鹿がかかる病気だが、治る病として知られ、病名は「山井症」となった。最初に死に、病名となったのは少年・山井 生(しょう)か、少女・山井 笑(しょう)。どちらにしてもありふれた名前だった。
 では『症年症女』とはなんだったのか、今語られる…。
ジャンプSQ.・前回までのあらすじより引用)

jumpsq.shueisha.co.jp

 漫画『めだかボックス』に続くタッグで描かれる、"すこしふしぎ”な少年少女の物語です。全3巻完結でありストーリーとしては短めですが、注目すべき点が多々ありました。

 

制約作画 

『症年症女』の特異なところはまず絵にあります。主人公の少年は「山井症」によってあらゆる"個性”が塗り潰されて見え、作中では基本的に彼の視点を借りて描かれます。ヒロインの少女以外は認識不能であり、漫画内の他のキャラクターの顔や適当な看板、さらには周囲の会話の節々までもがインクによって塗り潰されています。この状況によりマンガ的・セリフ的表現はほとんど使えなくなっているのですが、それでも『症年症女』は漫画として読めてしまう・楽しめてしまうところが新鮮でした。
 前述の通り一部のシーンはただ黒く塗り潰されているだけですし、そんな中での会話のほとんどは少年と少女の対話がほとんどであり、唐突に夢の中の教室で授業をする場面もあるなど、どこか小説のような内容でもあると思います。でもそれ以上に、制限を乗り越えたインパクトのある表現でもって漫画として成立しているのが驚きでした。

 

ボーイ・ミーツ・ガール

 ストーリーに関しては難しい部分もありますが、少年が少女と出会って恋に落ち、成長し、「"個性”とは何か?」を探求する王道的少年ものに読めると思います。
「山井症」は広い意味での「中二病」をパロディにしたもので、少年は思春期特有の自意識過剰に陥っているだけです。"個性”がなければ生きてゆけないけれど、たいていの個性はなにかの枠組みにカテゴライズされてしまいます。もしかしたらいま自分が持っている個性は、誰かによって作られた個性かもしれません。一方で、行き過ぎた個性(つまり少女)は迫害の対象になり得ますし、"個性”を捨てなければ大人になることができません。そんな世知辛い社会で悶える少年の物語です。

 

めだかボックス』との比較 

 第3巻のあとがきにて原作:西尾維新が直々に、『症年症女』と『めだかボックス』は相互補完的な役割であると述べています。漫画『めだかボックス』は『症年症女』と同じく暁月×西尾のタッグにて描かれた学園異能インフレ言語バトル漫画であり、同作中では「スキル」として様々な才能や個性が描かれます。
めだかボックス』を簡潔にまとめると、「特別な女の子が普通の女の子として生きる」という物語です。一方で、『症年症女』の少女のように「特別な女の子が特別なままに死ぬ」、あるいは少年のように「普通の男の子が特別に死ぬ」というのは、始まりは似ていても結末は真逆となっています。つまり『症年症女』と『めだかボックス』は互いに「あり得たかもしれない"もしも”」という関係性を持っています。
『症年症女』の少女は『めだかボックス』のキャラクターである黒神めだか安心院なじみを重ねることができます。方や少年には人吉善吉のように主体性があるわけでもなく、球磨川禊のようにネガティブでもありません。個人的には(ややマイナーかもしれないが)古賀いたみと少年にはやや類似性があるように考えられます。


 少し残念なところといえば、「山井症」の設定(12歳で必ず死ぬ・12歳になるまでは絶対に死ねない等)にやや頼りがちなところです。少年は山井症に罹り少女と出会うことで様々な感情の移ろいを経てゆきます。他方、少女の方はまったく変化がないといいますか、登場当初からレベル100の状態なので成長の余地がなく、自らの運命を受け入れているので漫画を読み進めていて面白みが薄くなってしまっています。他のキャラクターは「山井症」によって描くこと自体が困難ですし、設定そのものによってストーリーの方向性が狭められている側面もあったかと思います(そのことをメタ的に論ずる場面もある)。
(打ち切りなのかもしれないが)終盤の展開が駆け足であり、色々と張り巡らされていた伏線の内のいくつかを適当に回収するだけのような内容が惜しかったです。

 展開が読みやすいのでエンターテインメントとしてはイマイチかもしれませんが、寓話的で、マンガ文法に対しても挑戦的な『症年症女』です。一読を。