小説『殺人出産』感想
村田沙耶香による小説『殺人出産』(講談社文庫)を読みまして、感想を綴ります。
小説『殺人出産』あらすじ
今から100年前、殺人は悪だった。10人産んだら、1人殺せる。命を奪う者が命を造る「殺人出産システム」によって人口を保つ日本。会社員の育子には十代で「産み人」となった姉がいた。蝉の声が響く夏、姉の10人目の出産が迫る。未来に命を繋ぐのは彼女の殺意。昨日の常識は、ある日突然変化する。表題作、他三篇。
(講談社BOOK倶楽部より引用)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062934770
「10人子供を産んだら1人殺せる」というもしもの世界を描いた小説です。純文学寄りの一般文芸で、SF(すこしふしぎ)に属する内容となっています。
普通の会社員である育子、育子の姉で産み人(<殺人出産>を試みる人)となった環、育子の従妹で<殺人出産>に興味を持つミサキ、<殺人出産>の世界を変えようとする早紀子をはじめとする様々な視点から生と死の倫理観が語られ、常識/非常識のゆらぎを緻密に描いた作品です。
講談社文庫にて110ページ構成というやや長めの短編ですが、その内容の奇抜さ、そして文章の巧みさ、さらには著者の村田沙耶香さんが芥川賞(2016年『コンビニ人間』)を受賞したこともあって、とても評価されている『殺人出産』です(ちなみに『殺人出産』も2014年にセンス・オブ・ジェンダーを受賞している)。
感想
面白いですし考えさせられもしますけど、粗さもかなり残る作品だと思います。作品舞台の年代が具体的に語られてはいませんが、「10人子供を産んだら1人殺せる」という<殺人出産制度>が施行されてから100年後の世界とされています。その施行の理由が、避妊技術が発達して偶発的な出産がなくなったから、とされています。作中における一部の技術を除けば、作中の年代は私たちが住む2010年代とそれほど大差ないです。ところで2015年発表の日本国勢調査では、初めて人口減少が確認されたので、“もしもの世界”でその年に<殺人出産制度>が施行されたとして、作中の世界は2110年代でしょうか。
とすると、作中の描写に違和感を持ったり、話の流れに乗れなかったりするところがあります。まず人工子宮の存在です。作中では男性も<殺人出産>ができるように人工子宮が開発され、制度として活用されていますが、そうそこまで技術が進歩したなら人工生命まで到達しているのではないかと予想できます。ですが、そういった状況にはなっていなくて、しかも無痛分娩といった現代技術も進化せず、<殺人出産>の負荷に耐えられずに死んでゆく人物が居ます。アイデアと思想だけが先を行きすぎて細部の辻褄が合わさっていないように感じられます。
<殺人出産>の条件を達成すると、<死に人>(<殺人出産>の権利を使われる人)は法的な拘束を受けます。絶対的に死ぬ運命にあるというわけです。作中でも育子は、環が<殺人出産>の権利で指名するのは自分じゃないか、と怯える場面があります。これはもっともらしく、この抑止効果が社会全体に働いて優しい世の中にあるかと思いきや、いじめやセクハラやパワハラのある日常というオチでした。人の悪意というのが消えることはない、とも受け取れますが、やっぱり行動に整合性がないといいますか、矛盾が多いなと思います。
止めは「たとえ100年後、この光景が(以下略)」をはじめとする世の末を憂う描写です。作中に未来感が薄いのに、そんなことを語られても同調することができません。この短編の軸は「生命倫理」であり、その問題提起の持ち上げ方はかなりよかったわけですが、その代償としてSF要素が入ってしまい、紙幅の短さも相まってまとめきれていない印象が残りました。
そこで強引な話ですけど、作中の数字はすべて1/3にすべきだと思います。<殺人出産制度>が施行開始されたのは今から100年前ではなくて33年前、<殺人出産>も10人ではなく3人としていれば、もう少しリアリティがあったと思います。そうすれば、育子たちの親世代を<殺人出産>の第0世代として、育子たちが第1世代、ミサキたちが第2世代として、生と死の価値観の変化を時代の変遷と合わせて追っていけたかもしれません。2040年代ならまだ人工生命は誕生していないでしょうから、出産という行為も十分に存在するでしょう。<殺人出産>を10人から3人にすれば、3-1=2となって人口は増えも減りもしませんが、社会としてみると若返っているので問題ありません。同じ人が2回の<殺人出産>をして人口が増加するかもしれません。<殺人出産>で産まれた子はセンターに預けられますが、その遺伝的な偏りが少なくなり、また子供数の変化も緩やかになります。33年後ならSF要素も薄れて現代劇にまとめられる世界観になると思います。
一方で、「10人子供を産んだら1人殺せる」という高いハードルであるからこそ「殺人って、衝動じゃないですかー? それなのに、そんなに継続できないです」というセリフが活きてきます。産まれる命が少なくなるわけですから、失われる命の重さがより大きくなります。「産み人」という言葉をはじめとした<殺人出産>の常識が根付かないかもしれません。ゆえにこの極端な数字設定は物語展開の要所になっているわけです。
(BS JAPAN「ご本、出しときますね?」より)
この小説で恐ろしいのは、<殺人出産>で産まれた子供(ミサキ)がそのシステムを肯定するしかない世界観です。なぜなら、<殺人出産>を否定したら、子供も産まれなくなり、自らの存在もなくなるからです。その考え方は社会を営む上での合理性からではなく、ただのエゴです。でも一見するとそんな風には読めません。もっともらしく感じさせる狡猾さがあります。
それと環はサイコパスで、理由もなく命を奪いたい感情を抱えているのですが、彼女こそは人間の根幹をシンプルに描いています。どんな世界設定だろうと迷いのない殺人衝動が彼女を支配していて、いつの世も変わらない真理性が美しくさえ思えました。
エログロなシーンも少しありまして、そういった類のものが苦手な人は避けた方がいいですが、自分としてはかなりお気に入りの部類です。さらにはアニメ化に向いていると思います。テーマ性、未来設定、残酷描写といった要素が感受性豊かな10代にも、重厚な内容を好む20代以上にも評価を得そうです。小説『殺人出産』そのもののページが少なくて、作中では登場人物や風景・建物・小物のビジュアルについても限られた情報しかありませんが、そういったものをなんとか補完しつつ短編アニメ化してほしいとさえ思います。
それと同文庫本には『トリプル』、『清潔な結婚』、『余命』という短編も収録されています。『殺人出産』とは別の背景設定ですが、どれも大なり小なりのSF感があって、結果として同じ雰囲気でまとめ上がった短編集になっています。『殺人出産』に興味のある人なら他の短編も気に入ることができると思います。