AYUTANINATUYA

脱サラ・アラサー大学院生。日記と、趣味のゲーム・書籍・漫画などのサブカルを発信してます。

新書『動物化するポストモダン』感想

 

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 東浩紀による新書『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』を読みまして、感想を綴ります。
 哲学の本でもなく、社会学の本でもなく、文化研究でもなく、サブカル評論でもなく、社会評論でもなく。
 浅田彰宮台真司大塚英志岡田斗司夫とフラットに並べて論じ、サブカルチャーハイカルチャーを行き来するはじめての書として、2000年代以降の批評の方向を決定づけた歴史的論考。
 また本書で語られているデータベース消費、解離的な人間といった分析は、本が出てから十数年を経過した今日では、さらに有効性をもったキーワードとなっている。これは、2001年当時は、本書のサブタイトルである「オタクから見た日本社会」であったものが、いまでは「オタク」という言葉をつける必要がなくなっていることを意味している。

 2000年代を代表する重要論考であるのと同時に、2010年代も引き続き参照され続ける射程の長い批評書。
Amazon「内容紹介」より引用)
 大雑把に、そして誤解を恐れずにいうと、本書の内容は以下のようにまとめることができます。
  • 近代(第2次世界大戦後~70年代)は大きな物語(思想的に良しとされている世界観・歴史観)が正常に機能していた。
  • しかしポストモダン(70年代以降の文化的世界)では大きな物語が凋落してしまう。
  • 70年代、マンガ・アニメ・ゲームといったサブカルチャー文化圏、そしてそれらを楽しむ「オタク」が認知され始める。
  • オタクたちは『機動戦士ガンダム』(1979年)をはじめとする大きな物語を消費していた(物語消費)。
  • 新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)を代表として二次創作が盛んに行われ、大きな非物語(小さな物語)が生産される。
  • デ・ジ・キャラットを例にとる萌え要素が生まれ、設定が先行する作品を楽しむようになる(データベース消費)。
  • つまりオタク内でも消費の対象が、大きな物語から模造品へ移っていった。
  • コジェーヴによる動物は、欲求(特定の対象をもち、それとの関係で満たされる単純な渇望)のみをもつ。
  • 対して人間は、欲望(欠乏が満たされても消えることのない、他者の欲望を欲望する、といった複雑構造をもつ渇望)をもつ。
  • オタクに限らず、ポストモダンにおいて人の行動は動物化している。
 率直にいって、読後感はあまりよくなかったです。原因は、例として挙げられる『ガンダム』も『デ・ジ・キャラット』も『To Heart』も『YU-NO』も知らないからだと思います。リアルタイムで体験した作品は1つもなくて、かろうじて『エヴァ』だけは見たことがある程度です。議論の流れについてはわからなくもないですが、どうしても世代の壁を感じられずにはいられない一冊でした。

 

動物化するポストモダン』(以下『動物化』については、なんともいえません。自身も動物化している一面がありますし、そうでないところもあります。動物化があまりよくない状態である気はしますが、だからといって妙案が浮かぶわけでもありません。自分や周囲が動物化しているときに、それを意識できるかがポイントだと思います。
 本書に限らず社会論というのは、いくつかの現象から共通項を取り出して半ば強行して一まとめにしてしまうものですから、個々人でどこかしらに異議や違和感があって当然だと思います。それでも『動物化』はオタク史をうまくまとめていますし、現代との対比を鮮やかに利かせていると思います。難しいところはあるものの、眠くなるほど退屈な内容ではないです。なにより、著者のサブカルに対する熱意が十分に伝わってきました。
 

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 前述の通り本書での例が古かったので、自分が体験してきたコンテンツに置き換えて読書を進めていました。想像しやすかったのは、VOCALOIDですね。
 初音ミクをはじめとするVOCALOIDは、もう説明不要なほど若い世代には浸透していると思いますけど、その登場は2007年です。『動物化』風に述べると、初音ミクの設定は16歳で、ツインテールにミニスカートのかわいいキャラデザインで、コンセプト「未来的なアイドル」というデータベースが築かれています。そこから『みくみくにしてあげる♪』や『ハジメテノオト』という、「電子の歌姫」的な最も強い設定を活かした曲が作られ、さらには『メルト』や『恋スルVOC@LOID』に代表される、16歳の等身大の女の子が描かれてゆきます。
 
 しかしここで『エヴァ』的な転換が起きて、それは『カゲロウデイズ』だと思います。VOCALOIDの設定から離れ、個別の物語を作り上げてゆく楽曲が増えてゆきました。初音ミクではないキャラクターが歌うことを想定して、さらには楽曲の世界観を拡大した漫画や小説やアニメや映画が作られ、ファンはその物語を精査してゆきます。『動物化』を読んでいて、物語消費からデータベース消費へ移るのは一方通行なのかと思い込んでいましたが、VOCALOID界に限っていうと、双方向の関係もあり得るのではないかと感じます。
 確かに、作曲側ではVOCALOIDを単なる「楽器」と捉えているだけかもしれません。さらには、『Tell Your World』や『ODDS&ENDS』といった、『カゲロウデイズ』や『千本桜』で生成された「非・初音ミク」的なキャラクター像をも内包した設定から新しい曲が生まれてくるわけですから、やっぱりデータベース消費が主体であるともいえます。
 
 長々と語ってきましたが、サブカル文化にどっぷりと漬かってきた人ならば『動物化するポストモダン』は何かしら感じることのできる本です。社会論という特性上、時代に流されやすい一面はあるものの、他面では今でも居座ってしっかり議論できるほど高い強度のある内容です。早めに手に取りましょう。
 
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)