伊坂幸太郎による小説『死神の浮力』を読み終えまして、感想を綴ります。
死神の浮力
娘を殺された山野辺夫妻は、逮捕されながら無罪判決を受けた犯人の本城への復讐を計画していた。そこへ人間の死の可否を判定する“死神”の千葉がやってきた。千葉は夫妻と共に本城を追うが―。展開の読めないエンターテインメントでありながら、死に対峙した人間の弱さと強さを浮き彫りにする傑作長編。
(「BOOK」データベースより引用)
『死神の精度』(2004年・第57回日本推理作家協会賞・短編部門受賞)の続編にあたります。“死”をテーマに据えつつ、軽妙な会話劇が炸裂するエンターテインメント・ミステリーです。
『死神の精度』とは別仕立ての物語であり、また死神の基本的な事柄を説明するシーンもしっかりあります。なので、前作を読んでいなくても話を追うことはできます。しかし千葉をはじめとする死神の特徴・ルールを理解するためにも、前作を読んでおくとより『死神の浮力』を深く味わえると思います。
簡単に死神の性質を挙げると以下のようになります。
- 担当した人間を一週間調査し、その死について可否の判定をくだす存在。
- 死神が「可」の判定をした場合、翌八日目に対象の人間に死が訪れる。
- 例外なく音楽好きで、CDショップや音楽の聞ける喫茶店に入り浸っている。
- 死神は病気・極刑・自殺による死は担当しない
- 死神が人間に素手で触れると意識を失い、さらに寿命が一年縮む。
さらに追求すれば、以下の法則があります。
病気・極刑・自殺以外の死についてはすべて死神が調査を担当する。つまり、死が近い人間にはすべて死神が憑きまとっており、死ぬ可能性の有無が一目瞭然になる。
死神・千葉も死の「見送り」をする場合がある。
(『死神の精度』より)
『精度』を読んでいると、その調査対象者が魅力的で親しみを持ってしまいます。そして、彼らに対して死神の千葉が「可」の判定を出すか否か、に緊張感があります。『精度』は連作短篇なので判定を下す場面を何度も迎え、死神の理不尽さや例外を理解できるので、『浮力』を読み進める前に『精度』を読了することをオススメします。
死神の浮力・感想
『死神の浮力』は娘を殺害された山野辺夫妻が、逮捕されながら無罪判決を受けた犯人の本城へ復讐するところへ、死神の千葉が訪れる、というかたちで始まります。本城は他人への共感性の低い「サイコパス」であり、他人を支配する力に長けている。そんな彼に対して山野辺夫婦が立ち向かってゆく、そしてその過程に千葉が“憑き沿う”というストーリーです。
本城の狡猾な計画により山野辺は何度もチャンスを逃してしまうものの、その度にわずかな情報を頼りに次の接触を試みる、という“わらしべプロット”になっています。好機をふいにする度に、読者は山野辺夫婦とともに落ち込むのですが、その時の千葉の調子外れな態度やコメントが本作の魅力の1つです。
総じて、巨大な悪(死やサイコパス)に対して、一般の人々が果敢に立ち向かってゆく姿が丹念に描かれます。このあたりは伊坂幸太郎が得意としているテーマであり、前々からの読者を裏切らず、なおかつ持ち味の伏線回収の巧みさで魅せてくれる内容になっています。
『死神の浮力』のキーワードには以下のものがあります。
- 間違った標識
「簡単に言えば、標識が間違っていたから、警察が間違って捕まえちゃったってニュース」
「標識が」
「そう。標識自体が間違っていたわけ」
(『死神の浮力』・Day3より)
- 浮力
「そう。氷は姿を消すけれど、全体の量は変わらない。人間の死と似ているでしょ」
「まったく思わないな」どうして、その浮かぶ力の話が人間と結びつくのか、理解に苦しむ。水中に落とされ、死亡した人間のことなら思い浮かぶが、そうではあるまい。
「一人の人間が死んで、姿を消したとしても、かと言ってそのぶん、全体として何かが減るわけじゃないでしょ」
「なるほど」一人の人間の死は、社会からは気に留められず、総体としては影響がない、という意味か。それならば、私も実感する。
(『死神の浮力』・Day3より)
- クンランゲタ
イヌイット族の、「クンランゲタ」のことがまた頭を過ぎる。
集団を乱す者、長老に叱られても罪を犯す者、クンランゲタと呼ばれる者のことだ。
学者が、「そういった人間とはいったいどう付き合っているのか」と尋ねると、イヌイットはこう答えたという。
「誰も観ていない時に、誰かがそいつを氷河のふちから突き落とす」
(『死神の浮力』・Day6より)
個人的な感想として、『死神の浮力』の会話劇と伏線の拾い方はいつも通りに面白いです。
しかし、山野辺と本城の両人に死神が憑いており、「どう物語が転ぼうとも、結局は死神が行く先を決定する」ということから、やや無力感を持ちながら読み勧めました。
ですが、ストーリーが終盤になるとすっかり登場人物に感情移入しており、無関心でいられなくなるところに“伊坂マジック”を感じました。
設定上、死神の千葉も人間でいうところのサイコパスに近い存在なのかもしれませんが、そんな彼の行動は受け入れてしまうのが面白いところだと思います。