AYUTANINATUYA

脱サラ・アラサー大学院生。日記と、趣味のゲーム・書籍・漫画などのサブカルを発信してます。

ファンの同窓会/映画『ターミネーター:新起動/ジェニシス』感想

 

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 洋画『ターミネーター:新起動/ジェニシス』(2015)を見まして、感想を綴ろうかと思います。

 

 まず当映画のあらすじについて。

 2029年、ロサンゼルスでは人類抵抗軍が人工知能による機械軍との戦いに終止符を打とうとしていた。1997年、機械軍による核ミサイルで30億人もの命が奪われた“審判の日”以来の悲願がかなうときが目前に迫る。一方機械軍は、抵抗軍のリーダーであり、驚異的な力を持つ予言者ことジョン・コナー(ジェイソン・クラーク)を生んだ母サラ・コナーを亡き者にすべく、1984年にターミネーターを送り込み……。

シネマトゥデイより引用)

 ターミネーターシリーズの第5作目であり、新三部作の第1作目です。本作では「人間と機械の戦争」などの設定はそのままに『ターミネーター』を新しい観点や技術で描いた映画です。

 年を経てもアーノルド・シュワルツェネッガーの演技力は衰えない一方で、そのターミネーター(T-800)は生体組織の劣化で老化してゆき、また機械と人間が融合するなど、新しい試みに挑戦しています。

 

 まず大まかな印象として「ターミネーターファンの同窓会」という感じを持ちました。

 映画序盤は人間と機械の戦争シーンから始まり、見慣れたターミネーターが歩き周り、タイムマシンでカイル・リースを1984年に送ります。そしてそこでターミネーターと遭遇し……という流れで、『ターミネーター1』と同じ筋書きであり、覚えている人は思い出に浸ることができます。しかしそこで初老になったシュワルツェネッガーが現れ、さらにはT-1000(液体金属のターミネーター、『ターミネーター1』には登場しない)が現れ、過去のシリーズとはどこか違うということが意識されはじめます。

 

 序盤のこの辺りで「自分の知っているターミネーター」から「ターミネーターとは違う何か」に切り替える必要があるのですが、見る側はシュワルツェネッガーに親しみ過ぎ、登場人物や設定にはまり込みすぎて本質を理解することができず、ゆえにそれ以降の物語の吸収が遅れてしまう結果になると思います。

 

 タイムトラベルについて。本作はタイムトラベルと、それに伴う時間軸の説明や、自由・選択・運命・意思といった問題提起が起こります。ジョン・コナーやサラ・コナーは自身の命が人類の未来に直結しており、つまり逃げ場がない状況でこの課題を投げかけることは素晴らしいです。この重みを作ってきたのはまさにターミネーターシリーズの成果であり、同作品にしかできない物語展開です。

(サラ「私だって生き方を選べない」「決められた道を外れてしまったら、すべてを失う」「ダメよ。ジョンがどうなったか。考えてみて。いつもこうなる運命なのだとしたら?」)

しかしその説明は往々にして難しく、さらにはどこまで時間をかけても明らかにしきれないものです。なので“もっともらしい”解釈を見る側に与えて、あとは派手なアクションや怒濤の展開、映像美で観客の思考を奪うことが重要だと思うのですが、当映画では機械描写に甘えているのか、興奮せずにフィルムを見ることができるので設定の綻びが気になってしまいます。

 

 テーマについて。人間と機械の対立が1作目のコンセプトでしたが、2作目では少年ジョンとT-800の交流、3作目ではT-800に心理学がインプットされ、4作目では半機械人間が登場し、物語の軸は対立から融和へと移ってきています。そして本作では人間でもない、機械でもない存在が現れます。しかしそれについて言及はほとんどされず、サラ・コナー、カイル・リース、T-800でずっと身内話をしており、ストーリーの進化を見て取ることができません。

 

 その他のポイントについて。人気シリーズなので制作資金は潤沢なようであり、映像はとても作り込まれています。T-1000が酸でボロボロになるシーンは映えますね。アクションは計画的であり、作戦を練るシーンは聞いているだけでワクワクしてきます。それと本作ではスマートデバイスを熱心に操作する「人間の機械化」も描かれ、注目すべき場面はたくさんあります。

 

 見る前に『ターミネーター』第1作と2作は頭に入れておくことをオススメします。そして本作の評判は率直にいって悪く、続編は無期限延長になるなど悲しい限りですが、良い部分はそのままに、新しいコンセプトを捻出した新作を期待したいです。