卒業式
このたび大学の卒業式に出席してきました。
冬の渇きのせいでしょうか、桜の蕾も豆粒ほどに凝り固まっている日でしたが、
会場に入って、大学へは学位を貰うために行っていた、その目的がようやく達成できるなと、
式が始まるまでの間は、騒々しい席の一つに座ってそのことを思い返していました。
それまでの自分自身はたぶん高揚でも憂鬱でもない気分でいたはずなのですが、
学位授与が行われる前に交響楽団の演奏が始まり、落雷のような衝撃が起こったのは、
ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第一幕への前奏曲でした。
無きに等しい知識から拙い表現をすると、この曲はストレートに賛美的な演奏で、
各々の楽器がそれぞれのメロディを奏でながらも、一定の間隔でティンパニとシンバルが
ど派手な合図をとって歩調を合わせ、段々と高まってゆく内容になっています。
そういう、目指している方向は同じだけれども、個別でもあるという構図が、
なんだか卒業生の方々のように受け取れるのですが、どうでしょうか?
自分は、こんな世の中と、人とが、場当たり的に、肯定されて良いのだろうかと、
悩んでいました、真剣に。世の中は急速に、変化している、という形式の中、
生まれて、教育を施されて、社会に出て、消費して、されて、老いて、いなくなってゆく、
そんな状況が、すぐ足下まで迫ってきているのに、なす術がない、救おうともしない。
どこへでも行ける。でも、どこにも行こうとしない、そんな自分自身。
卒業させていただき、ありがとうございました。