今回は小説『一人称単数』を紹介します。村上春樹による著作であり、2020年7月18日に文藝春秋から発売されました。
あらすじ
6年ぶりに放たれる、8作からなる短篇小説集
「一人称単数」とは世界のひとかけらを切り取る「単眼」のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」はきりなく絡み合った「複眼」となる。そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。そして、そう、あなたはもうあなたでなくなっていく。そこで何が起こり、何が起こらなかったのか? 「一人称単数」の世界にようこそ。
著者紹介
- 村上春樹
1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
収録作
- 石のまくらに (「文學界」2018年7月号)
- クリーム (「文學界」2018年7月号)
- チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ (「文學界」2018年7月号)
- ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles (「文學界」2019年8月号)
- 「ヤクルト・スワローズ詩集」 (「文學界」2019年8月号)
- 謝肉祭(Carnaval) (「文學界」2019年12月号)
- 品川猿の告白 (「文學界」2020年2月号)
- 一人称単数 (書き下ろし)
各短編感想
石のまくらに
バイト先の先輩であり短歌の歌人との一夜を共にした回想録。
歌集のタイトルが『石のまくらに』ではあるが、その後に歌人本人とは会わず、印象的だった歌集も次第に魅力を失ってゆく過程が儚く描かれる。著者の創作物に対する想いの移り変わりとも捉えられる一編。
そう、僕ら自身の首を、冬の月光が照らし出す冷ややかな石のまくらに載せなくてはならないのだ。
クリーム
女の子とのピアノ演奏や不思議な老人との出会いを通じ、「人生のいちばん大事なエッセンス」である”クリーム”について考えてゆく物語。
「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」を考えるという無理難題をふっかけられるが、そういったものが想像できそうな可能性も否定できないもどかしさを抱きつつ、「しょうもないつまらんこと」として切り捨てたい衝動にも駆られる、起伏の激しい一編。
「クリームの中のクリーム、とびっきり最良のものという意味や。人生のいちばん大事なエッセンス──それが『クレム・ド・ラ・クレム』なんや。わかるか? それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや」
チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
語り部が過去にでっち上げた架空のレコードが目の前に現れたり、演奏者と夢の中で会話したりして夢と現実の境界線が曖昧になる物語。
過去の創作物が時間をおいて創作者自身に跳ね返ってくるという、自作自演的でやや病的なところもあるが、どことなく引き込まれる魔力も持ち合わせる一編。
もちろんその音楽は実在しないものなのだが。あるいは実在しないはずのものなのだが。
ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
学校で一度だけ見かけた「ウィズ・ザ・ビートルズ」のレコードをかけた少女、当時のビートルズの人気、付き合っていた彼女、彼女の家に出向いた際に出会った記憶喪失症の兄とのエピソードが語られてゆくが、結局はどれも無関係にそれぞれの結末を迎えるというノンストーリー。
メッセージがありそうでなさそうでありそうな、絶妙な振れ幅を繰り返すメタフィクション性が高い一編。
でもそれは結局のところ、偶然によってたまたま実現されたただの示唆に過ぎない。それを越えて我々二人を有機的に結び合わせるような要素は、そこにはなかった。
「ヤクルト・スワローズ詩集」
著者(村上春樹)が語り部として、野球チームのヤクルト・スワローズ(サンケイ・アトムズ)を応援するきっかけや、そこでの光景から作った詩、あるいは両親と野球とのエピソードを織り交ぜ語ってゆくエッセイ・ストーリー。
野球を通じて自身・家族・物語・感情を描写してゆく、アメリカ小説のような表現手法が詰まった一編。
あるいはそれは、僕という人間の簡潔な伝記みたいになるかもしれない。
謝肉祭(Carnaval)
醜い女性とシューマンの楽曲『謝肉祭』をひたすら語ってゆくが、そこに様々な要素が付与されるがために目的が薄らいでゆくという物語。
物事の純粋な活動にちょっとした不純物が混じると、割合としては小さいものがある影響力を及ぼしてゆく様子を未来視点から振り返り、やはり「ささやかな出来事」と結論付ける感傷的な一編。
僕らにとって何より大事だったのは、自分たちの愛する音楽について深く語り合うことであり、熱意を抱ける何かをほとんど無目的に共有しているという感覚だった。
品川猿の告白
言葉を話す「品川猿」から「好きになった女性の名前を盗むようになった」という告白を受けるが、一夜明けるとその猿との交流は夢だったと知る語り部。しかしその後、名前を盗まれた女性と遭遇して品川猿のことを思い出すが、そこに”何か”を見出せずそのエピソードを秘密にする物語。
女性・名前・テーマ・人生といった象徴を挙げては強く否定に走るが、自己体験からなかなか踏み切れない心の揺れ動きを描いた一編。
「名前というほどのものは持ち合わせませんが、みなさんには品川猿と呼ばれております」
一人称単数
スーツを着てバーに出かけた語り部が、そこで会った女性に厳しく絡まれるが反論できずに逃げ出す物語。
スーツを着ることで普段とは異なる視点を得る語り部だったが、同時に”普段の私”が失われ、それを女性に追及されるという自己欺瞞に満ちた一編。
そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。でもこの鏡に映っているのはいったい誰なのだろう?
終わりに
著者の自己回想的意味合いが強い短編集です。
女性、音楽、そして偶然の出会いを柱として、様々なテーマや物語を描いてゆきますが、そこで行われる語り部の回想がそのまま著者自身の回想と想起され、それぞれのモチーフが著者のこれまでの体験や著作に言及してゆく不思議な世界観が描かれます。
ただ一方で”短編小説”として収めるための急展開な物語運びで強引なテーマやオチが付属させられている印象も強く、内容として不満の残るものも多いです。様々な例えや言い回しは滑らかであり快い読み心地を覚えますが、全体を通してみるとそこに必要性があったのか不可解な部分もあります。
多数のエピソードが挿入されているため、著者の過去作品との相関を照らし合わせることで考察が捗る『一人称単数』です。