AYUTANINATUYA

脱サラ・アラサー大学院生。日記と、趣味のゲーム・書籍・漫画などのサブカルを発信してます。

小説『52ヘルツのクジラたち』書評感想

 

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 今回は小説『52ヘルツのクジラたち』を紹介します。町田そのこによる著作であり、2020年4月18日に中央公論新社から発売されました。

 

 

あらすじ

自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれる――。

www.chuko.co.jp

 

ポイント

  • 大分県の海辺町
  • 貴瑚と「ムシ」
  • 52ヘルツのクジラ

 

大分県の海辺町

 本作は「大分県の小さな海辺の町」を舞台としています。そこに語り部の女性が引っ越してきたことから物語は幕を上げますが、現代ながらそこでは老人会が非常に強い立場を持っている閉じたコミュニティが作られています。一方で、港町の豊かな自然、夏の風の雰囲気、美味しそうな九州料理が多く描かれます。

 

貴瑚と「ムシ」

 語り部の貴瑚(きこ)は26歳の女性であり、彼女の一人称視点で話が進んでゆきます。主に愛称の”キナコ”と呼ばれますが、過去に彼女は母親から虐待を受け、そこから抜け出した先でも愛人とのトラブルにより人間関係を清算したいがため、東京から大分へやって来ました。貴瑚の過去の不幸には心打たれるエピソードではありますが、どこか定型的な側面もあります。
 とあるきっかけで貴瑚と出会う「ムシ」と呼ばれる少年は、本名を愛(いとし)といい、キナコからは「52」と呼ばれます。中性的な外見の彼も母親から虐待を受けており、それに気づいたキナコは保護しますが、それゆえ問題に巻き込まれてゆく展開となってゆきます。

 

52ヘルツのクジラ

 52ヘルツのクジラは「世界で一番孤独だと言われているクジラ」であり、他のクジラより声の高さ(周波数)が高いために届かない種のことを指します。本書のテーマであり、クジラの例え話は分かりやすくキナコや52の心情を整理してゆきます。ただ一方で物語の解釈の幅を狭める結果ともなっており、やや強引に当てはめている印象も拭えません。

 

ネタバレ(結末・オチ)

 貴瑚が大分に来た理由は、東京の人間関係のこじれで安吾が自殺してしまい、その罪滅ぼしのためであったと愛に聞かせる。
 貴瑚が愛を保護していることを誘拐とされてしまうが、美晴や村中の協力もあり一件を収め、2年後の後見人制度の申し立てを目指す。愛は声を取り戻して貴瑚と心を通わせる。

 

終わりに

 感動的な内容ではありますが、予定調和的であり勧善懲悪の度が過ぎる部分を感じます。
 田舎町のハートフルな物語ともえいますが、被虐待者同士の傷の舐めあいとも受け取れます。序盤に語り部の女性が引っ越してきて、そこで出会った徘徊少年を守る過程で彼女の身の上話が繰り広げられ、弱い者同士が手を取り合って立ち上がる、という一読で理解できるヒューマンドラマの域を出ません。かつ少年が女性の過去回想の舞台装置になっている様子もあり短絡さが目立ちます。
「ムシ」と呼ばれる少年に「52」と名付けるのもややナンセンスに感じます。まず元ネタのクジラの鳴き声とすることで物理学的・生物学的な意味合いが付与され、文学的・感情的な感触が薄れています。また「52」というアラビア数字がひらがな主体の文章で異様に浮かび上がっていて雰囲気を崩してしまっています。そしてなにより発音しにくいです。「ごじゅうに」か「フィフティーンツー」と呼んでいるのでしょうか?
 文章力は一般文芸のレベルだとは感じますが、どこか青春文学やお仕事小説のような気軽さが残っています。虐待というテーマを扱うならもう少し鋭いか暖かみがあるか、より特徴的な文体が必要になってくるとも感じます。
 お姉さん(26)と少年(13)という組み合わせで、いわゆる「おねショタ」を想像する場合もあるかもしれませんが、そういった要素は一切ありません。ただ、物語を脚色する上でそれを含んだ方がよかったと考えます。また序盤から「アンさん」という、貴瑚が心の糧にする人物が登場しますが、その人については一切触れない方が背景がより広がったようにも感じます。
「虐待」という暗い経験を読みやすくハートフルな物語に昇華することには成功していますが、一方で背景のヒューマニズムや社会性が浅くなってしまった印象もある『52ヘルツのクジラたち』です。

 

52ヘルツのクジラたち (単行本)

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