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AYUTANINATUYA

20代の工場作業員だってこんなことを考えている

物語深化の原点/アニメ『ギルティクラウン』回想

Movie Book Music

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 アニメ『ギルティクラウン』のBlu-ray BOXが2016.4.27に発売予定です。その知らせを聞いて懐かしく思い、色々と当シリーズを見直しました。今回の話はその個人的な回顧と想察になっています。

 

 まず『ギルティクラウン』がどんな物語かといいますと、

 2029年、突如発生した“アポカリプスウィルス”の蔓延によって、大混乱に陥った日本。無政府状態となったこの国は、超国家間で組織された“GHQ”の武力介入を受け、その統治下に置かれることとなる。のちに「ロスト・クリスマス」と呼ばれるこの事件をきっかけに、日本は独立国家としての体を失い、形だけの自治権を与えられ、人々はかりそめの平和を享受していた。

 そして時は流れ、10年後の2039年。鬱屈した気持ちを抱えながら、どこか世間に冷めた視線を送る少年の名は桜満集(おうま しゅう)。天王州第一高校に通う高校2年生の彼は、クラスメイトたちとも一定の距離を保ち、ただ漫然と、平穏な日々を送っていた。

 しかし集の平穏な日常はある日、突然、打ち破られる。放課後、お気に入りの場所で出会った、ひとりの少女。彼女の名は、楪いのり(ゆずりは いのり)といった。集が憧れ、ウェブ上で絶大な影響力を誇る人気の歌姫。そして彼女には、もうひとつの裏の顔があった。“GHQ”からの「日本の解放」を謳い、命を賭けて孤独な戦いを続けるレジスタンス組織“葬儀社”。いのりは、17歳の若き首領 恙神涯(つつがみ がい)に率いられたこの組織のメンバーでもあったのだ。

 いのりや涯たちに導かれ、“葬儀社”の活動に関わり始める集。そして、彼の右手に現れる“王の刻印”。その“印”により集は、人の身体から「ヴォイド」と呼ばれる物質を自在に引き出し、それを武器に闘う力を得る。しかしそれはまた、彼が背負った“罪の王冠”の物語の始まりでもあった……。

ギルティクラウン・公式ページより引用)

 本作品はフジテレビ系列「ノイタミナ」枠で2011年秋から放送が開始されたオリジナルアニメです。近未来の日本を舞台に少年と少女が出会い成長してゆくという、基本的にはボーイ・ミーツ・ガールです。

 

 自分がこのアニメにはまり込んだ理由はたくさんあるのですが、いくつか挙げてゆきますと、まずは放送当時の自身と主人公・桜満集がうまく重なった点が大きいです。2011年の3月には東日本大震災が起こり、大変な被害が出ました。僕自身も直接的な被災はしませんでしたが、大きなショックを受けました。そしてその年の秋には、単純な時間の経過によりショックが和らぎ、また数々の情報が整理されたことにより、震災を見つめ直すことができるようになった頃合いでした。自分は大学生だったのですが、日々の講義を受けて、バイトして、帰宅して、という震災前と同じ生活を送っていました。それは以前と変わらない平和なひとときだったのですが、震災によって気持ちのバランスが崩れてしまい、「このままじゃダメだ」「何かしないといけない」という焦燥感を持っていました。そこにギルティクランのPVが発せられ、楪いのりは「やれば、できるかもしれない。やらないと絶対にできない」といい、桜満集は「でも、僕にももっと、やれること、ないのかな」といいました。やっぱりそのセリフで、グッと引き寄せられました。

 確かギルティクランの制作企画そのものは2011年より前だったと思いますが、偶然にも放送当時の状況や自分の心境に合致しました。なのでおそらく、今になって初めて見ると物語の印象はだいぶ変わってくると思います。リアルタイムで見ると入り込めるアニメです。

 

 それと主題歌をsupercellが担当したことにも惹かれました。僕はこの音楽グループのファンなのですが、当時のsupercellはボーカル(nagi、のちにやなぎなぎ)が変わり、これまでの好きな音楽の新譜がもう聴けなくなってしまった状況でした。しかし新ボーカル(こゑだ)が決定し、アニメ内の楪いのりの歌を担当するEGOIST(chelly)も生まれ、新しいsupercellが始動するところでした。自分の中で「新しいsupercellも好きにならなきゃ」という思い込みがはたらきまして、そのためにはギルティクラウンの物語とリンクさせて楽しめばいいと考え、だからアニメにも注力してゆきました。

 音楽グループの脱退や変更は、解散よりもある意味では残酷なことです。確かに解散するとそのグループの新譜は聴けませんが、それまでのグループの評価はほとんど動かないものであり、これまでのアルバムを聴き回せば事足りることです。しかし脱退や変更が起きると、聴く側は新譜を聴いたり評価したりする権利が与えられてしまうわけです。もう聴かないか、音楽路線が変わっても聴くか。その選択は今までの思い入れがあるだけに、相当なストレスになるのではないでしょうか。

 

 ギルティクランの評価について。一般的には作画描写と音楽表現に優れている一方で、脚本に難があり、またキャラクター像は賛否両論といったところでしょうか。

 特に映像面に関しては2016年でも通用するほど作り込まれていると思います。音楽は澤野弘之氏(ガンダムUC進撃の巨人)が担当しており、また主題歌・劇中歌は前述のsupercellが担当しています。アニメ中の音楽の使い方はとても丁寧であり、印象深くなるよう演出されています。

 脚本については正直いってむちゃくちゃです。特に物語の後半は、誰がどういう目的で闘っているのか整理されていません。敵味方の新しい能力の説明も不足しています。ただ自分は、ストーリーを追うよりも怒濤の映像展開だったり、キャラクターの感情の揺れ動きだったりに心を奪われていたために、脚本はあまり気になりませんでした。それと小説版・ギルティクラウンゆうきりん著・全4巻)では人物関係や機械・特殊能力についての整理がされており、読むと上手く物語を補完できます。

 キャラクターについて、主人公をはじめとしたほぼ全員の個性が強く、また彼・彼女らの基本行動方針が大きく振れるため、見る側がある人物に対して全面的に感情移入するのは難しいです。ただ桜満集について、物語が進む中で成長したり、弱音を吐いたり、絶望したり、再起したりするのは、なかなか描けないありのままの人の姿であり、飾らないキャラクターだと思います。

 

 じつはこれからが本当に語りたいことなのですが、当アニメ監督の荒木哲郎氏はのちに『進撃の巨人』、そして『甲鉄城のカバネリ』を監督することになります。その後期2作品を見ていると、ギルティクラウンからの流れを至るところから感じます。主人公は現状を打破したがっているけど、不器用で上手く皆に伝わらないところとか、主人公は頼られる存在になると同時に恐れられる存在にもなるところとかです。映像面でも、空中をムーンサルトで飛び回るシーンがよく出てきます。こういった軸の一致は往々にして作品の焼き増しと批判されることがあるのですが、ふつう誰もが基本の軸を持っていて、それは簡単には変わり様のないものですから、当然のことだと思います。むしろストーリーの真似事というよりも、細部における物語の深化に注目した方が良いと思います。ギルティクラウンと比べて甲鉄城のカバネリは、感情表現がストレートになっていて分かりやすい印象を受けます。作画はより暴力的になり、味方にカバネ(屍)が紛れ込んでいるかもしれないという疑心暗鬼が仲間の結束を阻む構図も新しい取り組みだと思います。

 

 『ギルティクラウン』はもう5年も前の作品であり、今アニメを見ている人、これからアニメを見始める人にとってはやはり『進撃の巨人』や『甲鉄城のカバネリ』が第一印象として記憶に残るのでしょうが、『ギルティクラウン』を見ると他の2作品との違いを味わうことができ、どの作品にもより親しみが持てるようになると思います。

 

 以上、アニメ『ギルティクラウン』とそれに関するいくつかの回想でした。現在放送中の『甲鉄城のカバネリ』についてもいつか語りたいと思います。

 

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ギルティクラウン レクイエム・スコア I (トクマ・ノベルズ)

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